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製作記 魂を打ち込む

スペインである製作家を訪問した時に、良い楽器を製作するために必要な条件を尋ねた。彼は、「良質の材料、設計寸法、道具を含む製作技術」と答えた。私の経験から確かにどれも大切な要素ではあるが、彼の回答の中に精神的な条件は入っていなかった。彼は目に見えない要素は言葉に出さなかったが、無意識のうちに魂を打ち込んでいるのかそれともまったく意識していないのかは判断できなかった。

時々、芸術家と呼ばれる画家や陶芸家とも会話する機会があった。人間の性格がその作品の中に表現される分野では、本人の生まれ持った才能や蛙の子は蛙などの育った環境の話も重要だが、落ち着くところは精神的な魂であった。魂を打ち込むことは、人間の感情を表現する芸術に共通の課題であった。私は今日でも、ギター製作も立派な芸術であると信じている。ギター製作家自身の性格や心の状態がギターの音の中に表現されている。たとえば、誰かが道具をつくる。誰かがそれを使う。一生懸命魂を込めてつくったものを、魂を込めて使う。無気力につくり無気力に使うものとは、表現される結果は大きな差が出てくる。魂は、あまり口に出すことではないが、意識することは極めて重要だと思う。

1本のギターを製作するためにノミやカンナを使い、手に豆を作りながら硬い木を削り込んでいく。響棒や桟棒の先端の仕上がりを指先で確認しながら丁寧に仕上げていく。ギターは釘やビスを使わず、接着剤で主要部品の組立を行なう。表板と側板は小さな木片を1個1個接着して固定する。塗装は布にセラックニスを塗布したタンポで、少しずつ乾燥させながらじっくりと時間を掛け塗り重ねていく。タンポ塗装の塗り回数を数えたことはないが、約2ヶ月で400回以上塗り重ねていく。1日に進む工程は僅かだが、魂を込める工程はたくさん有り、魂を意識しながら製作してくことはギターに取組む姿勢も異なってくる。

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初心者のギター演奏も、感情を表現できれば立派な芸術であると私は思っている。レベルの高いプロギタリストは、高度な演奏技術の上に自分の感情を表現している。高度なテクニックのみだけでは演奏マシンで、感情がなければ人の心に感動を与えられない。演奏の勉強を始めたばかりの人が、まだ演奏技術は低くても低いなりに自分の感情を表現していれば、立派な芸術である。自分なりの感情を込めてギター演奏を楽しんでいる世界中のギター愛好者全員が、小さな芸術家であると信じている。

音の中に自分の魂が少しでも表現でき、演奏者や聴衆にそれを理解してもらえれば、これは製作家にとって最高の喜びである。魂を打ち込んだ作品は、製作者の命である。一本一本に自然と愛着が生まれてくるのである。時の流れとともに年齢や生活環境の変化で、自分の精神状態は変化していく。私は、自分の製作したギターの音の変化に自分の心の歴史を見出せるのではないかと思う。これは私にとってたいへん興味深いことである。

エルナンデスは、「40年の製作期間にギターを贈呈したことや値引きしたことは一度もない。お礼はギターの価格でなく別の形でする」と私に言った。自分の魂を込めて製作した愛着のあるギターを、無料で贈呈したり、値引きしたりはできなかったのだと思った。彼に、「ギター製作の秘伝は何ですか」、「魂とはなんですか」と聞く機会はあったが、私はあえて聞かなかった。これは、スペイン留学以降自分の音を求めていく中で、私の生涯のテーマとしたからであった。

秘伝探しは、一生続くであろう私の「ギターとの闘い」の真髄となる部分で、自分自身で探し出さなければならないと思った。エルナンデスと一年半接し、帰国後、一人で自分の音を求めて製作に取組んでみて、肌で感じ、体験として積み重ねてきた。これまでギターに携わってきた結果として、作品に人間の感覚や感情を指先から導入する芸術の世界で、「魂を打ち込む」ことが一番必要で大事だと感じた。

「魂を打ち込む」という言葉は感性を表現する芸術の世界で良く耳にするが、この精神的な魂とは、私なりの体験から別の言葉で表現すれば「愛情」と「根気」に置き換えた。「愛情」とは、自分自身の立場より家族や友人などの対象者の立場になって、物事を考え行動することと私は定義した。ギターをいかに愛することができるかであり、ギターのつくられる側の立場になり物事を考え製作していくかであった。人間愛でも愛という言葉は簡単に使えるが、自分の感情や行動を抑えて長く愛を貫き通すことはたいへん難しいことである。エルナンデスが言った「50年先を考えて作れ」や、「急いではいけない」などの言葉の意味を考え、「良いギターに成長してくれよ」とギターの立場から製作に取組んできた。愛情を持ってギターに接すれば、ギターも愛情をもって答えてくれると感じた。

「根気」とは、初心を貫き同じ精神状態を長期間維持することと定義した。1本のギターを製作するのに数ヶ月という期間が必要で、その間は製作に対する集中力を辛抱強く維持しなければならない。広い意味では根性につながることかも知れない。気分の乗らない日や辛い仕事の日もあったが、精神を集中して製作に取組んでいかなければならないと自らを励ました。ギターが完成するまで集中力を継続する根気強さは、最終的に音や仕上げとして評価された。

4本をロットにして製作している時は、同じ工程の仕事を4回繰り返した。集中力が足りなかったのか精神力が不安定だったのか不明であるが、ある工程で仕事がうまくいかないことがあった。意識している訳ではないがうまくいかない作業が不思議と同じギターに重なった。それはギターの内面で外観ではチェックできなかった。完成後に、私のギター人生で恩人の中の1人であるギタリストの北村謙が、音で集中力の欠けたギターを見つけ、「このギターをつくる時の精神状態が良くなかったのではないか」と音を分析して指摘し、びっくりしたこともあった。

私は、ギターづくりの秘伝は「愛情」と「根気」と結論付けている。江崎ギター工房にて1人で製作に取組んでいるとさらにその結論は間違っていないことを実感している。1本のギターを製作するのに、毎日毎日愛情をもって根気強くギターと接していけば、材料や仕様に加えて実力以上の音ができると確信している。精神面と格闘しながらギターが完成した時に、最初に出て来る音の感動は素晴らしいものである。自分自身の感動がなければ、人にギターで感動を与えることができないと思う。

自分の体験から真剣に考えてみたが、この秘伝は、ギターだけでなくすべての物を創作する人の原点である。さらに良い技術や音を求めてギターの演奏を勉強している人たちにも共通していることである。感動を与える演奏をしようとすると、練習の段階から単なる技術の追求だけではなくその曲や演奏で感情を表現することが大切で、自分自身が感動することだと思う。私も自分の子供を育ててきたがギターも子供も生きもので、子供を育てる基本姿勢も「愛情」と「根気」でまったく同じであると思っている。考え方によっては、自ら意思表示をしないギターの方が魂を込めることは難しいことかも知れない。対象が何であれ物をつくったり、物を育てたりするすべての物事の取組む共通した秘伝で、人間の感情を表現する物づくりの世界においては、永久に続く基本姿勢だと思う。

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