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留学記 エルナンデスに就いて

マドリッドで新しい師匠を探すことから始めなければならなかった。ヤマハ代理店の社長の協力で著名な製作家たちを訪問し受け入れの承諾を依頼したが、閉鎖的なギター製作業界の中で回答は全て「ノー」であった。製作家たちと接した中で、世界的名工のマヌエル・エルナンデスの真面目で紳士的な人柄が強く印象的に残っていた。彼の工房で修業したいと決意し、許可を得るために工房訪問が日課となった。ある日、私の熱意や執念に負けたのか「後の机でギターをつくっても良いぞ」と待望の言葉をもらい飛び上がって喜んだ。

マヌエル・エルナンデス ​1974年撮影

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マヌエル・エルナンデス ​1974年撮影

エルナンデスが木工作業を、親友のアグアードが塗装作業を担当し「エルナンデス・イ・アグアード(日本でアグアードと呼ばれる)」ブランドのギターを約40年間製作していたが、アグアードは目と足が不自由でリタイヤしていた。工房は、約30㎡の広さで、古い道具や傷だらけの作業台など2人の歴史をいたるところに漂わせ、作業方法も含めて時代をさかのぼった錯覚さえ覚えた。

承諾を得た翌日から彼の工房に入り長期に及ぶ修業方法を相談した。師匠の手伝いではなく私自身のギターを製作することになり、最初の1台分の材料を分けてもらうことになった。彼は材料の叩き方や響き具合の良否を指導し、良い音をつくるためには目で見た材料の良否の判断より叩いた音の響きがもっと重要だと付け加えた。修業初日にして名工の技術や経験の一端が勉強でき、入門した喜びとともにこれからの修業が楽しみで胸がわくわくした。

私の前の机で作業をしている師匠は77才で、手は皮膚のしわや血管の筋に名工としての歴史が感じられた。この工房にも仕様書や図面はなく、各工程で彼の仕事ぶりを見て彼がやったことを再現する毎日だった。彼から細かく説明してくれることはなかったので、見ただけでは判らない点を質問すると後ろを振り向いてポイントを説明してくれた。

機械がなく全てが手作業だった。裏板と側板のハカランダの堅い材料の厚み仕上げで手にマメを作り、側板の成形で円筒のアイロンに触れ軽い火傷もした。表板の響棒仕上げも完了し、裏板やネック、部品の準備を済ませ、組立作業に入った。胴型に成形した側板を組立てた段階で一気にギターらしくなり、胴の周囲の飾り入れは原始的な方法で多くの時間を費やした。師匠は「反らないネックをつくるのは、たいへん難しい仕事である」と言って、直線の定木を使い指板上面を微調整しながら仕上げていった。溝とフレットの嵌合が堅くもなく緩くもなく調整した後にフレットを打ち込んだが、名工が長い経験で積み上げてきた秘伝の一つであった。研削ペーパーでギター全体の木工仕上げを行なった。

塗装は、セラックニスを布製のタンポにしみ込ませその湿リ具合を手の平で確認し、円弧を描きながら少しずつ塗膜を形成していった。毎日毎日同じ作業でギターの形状にあまり変化がなく根気を必要とした。「急ぐな」と弧を描くスピードでも再三注意を受けながら1ヶ月半後に塗装も完成したが、この間アルコールで皮膚がふやけ指の皮が3回むけた。

3ヶ月後、数多くの初体験をしながらギターや師匠と格闘の末、1本のギターが完成した。これまで味わったことのない感動で言葉での表現が難しいほどだった。手作業で苦労が大きかっただけに喜びも大きく、お祭騒ぎをしたくなるほど興奮した。その時の、物作りの素晴らしさや完成までたどり着いた満足感を今でもはっきりと覚えている。

師エルナンデスの工房で2回目の製作に取り掛かかった。製作の手順やポイントも概略把握でき、手のマメやむけた指の皮でギター製作の技術習得ができる喜びを実感しながら製作に励んだ。師匠から「急ぐと良い仕事はできない」と注意を受けながら3ヶ月半後に2本のギターが完成し、達成感を満喫した。数日間の試奏結果で、スペイン的な明るい音色で師匠の音の傾向があり、グラナダ製にはなかったクラシック音楽用としての基本的な音の良さは持っていると感じた。

材料は音をつくる要素の一つで、4本目以降は日本から取り寄せた材料で製作することにした。日本で使用している材料ではどのような音がするか、また、日本独自の表板材えぞ松の音も確認しておきたかった。私のマドリッド製のギターは「エザキ・アグアード」と呼ばれ、3ヶ月半の時間を費やして2本、さらに3ヵ月半で2本が完成した。

製作を重ねるごとに、100年前と同じギター製作の伝統的な技術が身に付き、師匠の製作に対する姿勢も学び、私も製作に自信が持てるようになった。師匠も、「良いギターができるようになったな」と評価してくれ、彼の言葉の雰囲気や顔色から判断すると修業の成果が出たのかなと自分勝手に判断した。ギタリストにも評価してもらうためにデ・ラ・マーサやイエペスなどの自宅を訪問し「エザキ・アグアード」を評価してもらった。総合すると、「部分的な欠点はあるが、師の特長である音色やバランスの良さがあり将来が楽しみな作品」とのことで、日本材でも問題ないと結論を出した。

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