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留学記 留学で学んだこと

フェレールに約1年間、エルナンデスに約2年間師事した。エルナンデスから学んだスペイン伝統の製作法や製作に対する考え方や姿勢が私に大きな影響を与え、彼から得た知識や体験は私のギター製作の原点となった。師エルナンデスとの会話の中で、閉鎖的なギター業界の中で彼はかなり進歩的な考え方をしていたことが次第に理解できた。彼の健康状態で私の入門承諾の回答は遅れたが、承諾したのも彼の知識や技術の伝承が大きな理由だった。

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エルナンデスと彼の工房で ​1974年撮影

師匠は、製作中に私の手の動きを見て「急いではいけない」と再三注意した。最初は、彼も高齢で体が動かないくらいに考えていた。ある日、小さな木片を接着している時、「50年先のこのギターの状態を想像してつくれ」と言った。今まで将来のギターの状態を想像したこともなく、まったく視点の違う言葉だった。また、「見えないところほど手を入れよ。見えない内側の仕事も表面と同じ神経で仕事せよ」と注意を受け、目の細かいペーパーで仕上げていった。

師匠の製作を続ける姿を毎日見つめ実際自分で作業をしてみると、彼の言葉の一つ一つが製作の基本で、大きな意味をもっていることを実感した。良いギターができるように作業を追及して製作に取組むと時間が必要で、愛情を込めて細部まで気を配ると仕事の丁寧さが必要だった。将来、故障せずしっかりとした原型を保ち、完璧な音を出すギターを製作するためには、小さな1個のブロックの接着も全神経を集中して作業を行なわなければならなかった。

師匠が「自分の満足のいくギターをつくるには、200年生きなければならない」と言ったことが今でも私の脳裏に焼き付いている。これは、満足のいくギターをつくることは不可能を意味し、世界の名工の言葉だと思うと驚かずにはいられなかった。この言葉から、「妥協を許さず、常に向上心を持て」と解釈して、私は今でも心に刻んでいる。ある日、「良いギターを製作するためには、金儲けは考えてはいけない」と言った。確かに金儲けを考えると数量を増やし、コストダウンを考え、神経を製作以外の面にも使わなければならなかった。彼は「過去に金儲けをしようと思えばいくつかの方法はあったが、初心を忘れず製作を続けた」と語ったが、名器を誕生させ続けた決断だった。

製作者の性格が作品の中に表現されることも学んだ。師匠の几帳面な性格や態度は、仕事でも十分発揮されていた。物事をきちんと積み重ね、妥協を許さず自分の納得いくまで手を加えた。また、彼は高齢にも関わらず非常に研究熱心であった。さらに良いギターを製作するために改良を考え眠れなかった日もあった。改良の度に知識や経験を上積みし、師匠のギターはまだまだ進化していた。明るく透明感のある鋭い音、バランスの良さなど彼の性格そのものと感じられた。私生活を含めた彼の性格がギターに投入され、彼を名工に、彼のギターを名器にしていったと今も思っている。

製作家の性格は個人的な要素や経済性、国民性などで形成されるが、その性格も製品の中に音やデザイン、仕上げとして表現される。現在も世界中で多くの製作家がギターづくりに精を出している。一人一人の性格が異なりギターに対する考え方や経験も異なるため当然表現される音も異なる。製作家の数だけ音色の数がある。性格が反映されるギターで、故人の名器の寸法的なコピーをしても性格のコピーは不可能で、クローン・ギターの存在はあり得ないと思っている。

手作業で良い音に育ってくれと念じながらこつこつと工程を進めていくうちに、製作しているギターに愛着を覚え、完成した時の感動は最高だった。この喜びは物をつくる者の特権であり、この感動を味合うために人は苦労をしているのだと思った。師匠からから製作技術以外でも学ぶことは多かった。毎日こつこつと作業に取組む彼の姿に、製作者の原点を見出した。彼の指導中に出てきた一言や就業後の会話の中で、彼の体験から出てくる言葉の重みや意味の深さを実感し、自分なりに習得した。

しばしばアグアードともマドリッド郊外に昼食を取りに出掛けた。師匠はアグアードの塗装技術を絶賛していた。食後にアグアードはテーブルに円弧を描きながら丁寧に私に指導してくれた。実際に塗装で試してみたが、経験がつくった技術で彼の偉大さを知った。また、人間愛の尊さを教えてもらい、私の精神面での恩師の1人である。

多くのギタリストと接して、演奏の立場からギターに対する多くの意見や知識も得て、製作者を育てる現場も体験することができた。また、四季を通じた実生活で、スペインの気候も自分の肌で体感した。多くのスペイン人と語り、陽気なスペイン人気質も少し理解できた。本場での生活を通して、スペイン人の生活とギターの関わりの一端を見ることもできた。ギターの本場のいろいろな場面でギターと直接または間接的に関係のある知識の収穫は、予想以上に大きかった。

帰国して4ヵ月後に、師匠エルナデスの逝去(享年79才)の報を受けたが今も師匠は私の心に生きている。

(完)

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